一期幹事代表 桑村益夫 報告
1期生の最初の同期会は、昭和51年に12名の恩師をお招きし、101名が参加、母校の体育館で開催されました。(一期会の記録参照)
 その後、平成元年より「一期会」の名のもとに、故山田斉氏(『市川二中五十年史』編集委員長)が幹事代表となり、四年に一度開催していました。平成18年以降は桑村が代表幹事となり、二年に一度開催してきました。
 しかし、恩師のご高齢化と1期生の大半が傘寿を迎えたことから、平成26年11月22日、山崎厚生年金基金会館に於いて、濱田龍二、草深清、飯盛宏、佐藤千寿子、中村欅の5名の恩師をお迎えし、40名の同期生が参加、今回を以て最後とする「一期傘寿の会」を開催しました。

代表幹事 桑村氏
 細谷廣澄氏の開会の辞と司会で始まった会の冒頭で、 桑村が代表幹事として挨拶し、過去2年間に鬼籍に入られた10名の同期生(林不二夫、山田一清、折笠智子、山田斉、諸隈肇、遠藤穣、藤野八重子、奥村和江、平林節、土田武義)に黙祷を捧げました。更に同窓会が17年前母校の創立50周年を機に再発足して以来、役員各位の尽力と会員の支援により順調に発展し、今や9,500部以上の『会報』を同窓生に配布するに至っていることを報告し、同窓会への財政的支援を要請しました。
司会 細谷氏
   次いで、ご高齢にも拘らずご参加下さった5名の先生方から、過去60余年を振り返っての感慨深いお言葉を頂戴しました。
濱田龍二 先生


佐藤千寿子 先生
草深 清 先生
飯盛 宏 先生


中村 欅 先生
我々より数年若い方々でも想像しがたいことと思いますが、終戦 2年後に市川二中が開校した当時は、校舎を真間小から間借りし、
先生方も校長、教頭他数名の方を除き、師範学校を卒業し大学進学を目指しておられた方や、東大の学生に代用教員をお願いするという教員不足の状況でした。このようなお若い先生方は、僅か2年足らずで学校を去られましたが、我々1期生に愛情とも申すべき深い思いを抱かれ、 なかでも濱田、草深、飯盛各先生が現在に至るまで同期会に参加して下さったことは、筆舌に尽くし難い感謝の気持ちで一杯です。濱田先生は関西の宝塚から出席くださいました。
先生方は、こもごも二中時代の楽しい思い出を語られ、「同期会は最後となっても、今後も折に触れ集まってお互いの絆を大切にするように」とおっしゃられました。
乾杯の辞 山本氏




山本洋之氏の乾杯の音頭で盛り上がった会場には、平成26年度の同窓会総会でも展示された「工芸ぼんさい」作家の木賀輝子氏の作品が金屏風を背に華を添え、最後の同期会を惜しむ懇談の輪が賑やかに広がりました。
安藤 顕氏
 『人類はこの危機をいかに克服するか』と題する本を共著出版した安藤顕氏が、GDPを基準とした国益優先の政策から、地球の持続の可能性を高め、人類の発展を目指す新しい基準作りを提案する一方、細谷廣澄氏が飛び入りで日本の教科書(国語、音楽)の歴史を披露するなど、1期生らしいインテリジェンスの高い懇親会となりました。




←工芸ぼんさい 木賀氏






校歌の指揮 松本氏
最後は松本茂子氏の指揮の下、二中吹奏楽部と卒業生有志によるCDの伴奏で、校歌(作詞者は前出の濱田先生の御父君)を声高らかに斉唱しました。
*草深先生は『会報13号』に校歌作詞の経緯を、
*濱田先生は『会報15号』に二中時代の思い出を寄稿されています。
閉会の辞 高塚氏
撮影担当 安蛭氏
高塚彰一郎氏は恩師のご参加を謝し、「今後もお互いの絆を大切に健康第一で過ごしましょう」との閉会の辞をのべ、先生も含め大勢の方々が同窓会への賛助金を納めて下さり、散会しました。
最後となりましたが、改めて先生方の「一期傘寿の会」へのご参加を謝し、益々のご健勝を心よりお祈り申し上げると共に、同窓生を含め同窓会への多大のご支援を戴いたことに対し、厚く御礼申し上げます。

上記、桑村益夫報告の文章は平成27年3月発行の『二中同窓会会報第18号』に掲載された「一期傘寿の会そして最後の同窓会」の原稿を再録しました。
写真は撮影担当の安蛭幸男氏によるものです。
平成24年開催(第10回)同期会のご報告へ