2007年に教頭先生として赴任された、高鍋誠太郎先生に「市川二中の思い出」を綴っていただきました
恩師登場
教頭として赴任した市川二中の思い出
~ 鳥のさえずる緑豊かな我が母校 ~
元市川二中職員 髙鍋誠太郎
1. バスケットボール部顧問としての思い出の学校
昭和55年(1980年)に理科の新任教諭として市川七中に赴任した私は、七中の男子バスケットボール部を強くしたいと、
毎週末のように生徒とともに二中にお邪魔して、体育館やデコボコの校庭で当時の顧問であった飯島三千夫先生からバスケのノウハウを学びました。
電車の音が響かない静かな所にある学校で、礼儀正しい子供達がひたすらツーメンやスリーメンに汗を流していました。
時は流れ、平成19年(2007年)4月に教頭として市川二中に赴任。
3階建ての校舎に古い体育館は昔とちっとも変っていませんでしたが、掃除は行き届いていて綺麗でした。
着任式に向かう体育館通路にウグイスの鳴き声が響いていました。驚きました。混声四部合唱の校歌も圧巻でした。
2. 落ち着きのある地域、伝統のある学校、同窓会組織が存在する公立の中学校
入学式に先立ち、来賓控室に同窓会長の篠崎實という方がいらっしゃりご挨拶を頂きました。のちに、この同窓会が二中の教育に大きく関わってくれていることを知ることとなりました。
6月に行われた同窓会総会では二中吹奏楽部の演奏がありました。その中に年配の方が混じってトランペットを吹いていました。
桑村益夫さんという方でした。初代の同窓会長さんだと聞いて涙が出そうになりました。
参加者の皆さんによる校歌の大合唱が最後にありました。母校をこよなく愛し、遠くからもこの会に毎年来て下さる方々の笑顔に感動しました。
3. 校内適応指導教室に学ぶ子供達と一緒に地域の歴史や文化を学ぶ
教頭として週に何度か、理科や数学を指導したり卓球やバドミントンで汗を流したりする交流の機会がありました。
この教室の中に特に印象的な二人の男子生徒がいました。この子供達に社会性を身に着けてもらうことと私自身が地域に詳しくなりたいとの思いから、一緒に学校の外にもよくでかけました。
須和田公園にはじまり郭沫若記念館に芳澤ガーデンギャラリー、真間山弘法寺に手児奈霊堂、つぎはし茶屋に千葉商大のキャンパス、
里見公園にじゅん菜池公園、遠くは外環道路建設事務所も訪問しました。
「きらりと輝く星」
その子の一人が、お父さんに頼んで「ゆずの栄光の架橋」のCDを用意してくれました。
「教頭先生はどんな曲が好きですか」と聞かれて私が答えた時、その子の目がきらりと輝いた時のことを今も忘れていません。
次の日の朝一番に持ってきてくれました。「いい曲をありがとうとお父さんに伝えといて」と言った時のその子の笑顔も忘れることができません。
優しい子でした。
楽しく思い出深い2年間を送ることができました。そして、
のちに現役最後の2年間をまた市川二中で過ごすことができる栄誉を賜ることになろうとは。市川市教育委員会に感謝です。